欲望に打ち勝つというのは、ほんとに難しい。私の場合は食欲。とにかく健康でいたい、とか思っているくせに美味しいものをムシャムシャ食べたい。
これまで健康でいるために常日頃気をつけるどころか、健康は大事だよなと思っているだけで食い意地は止まらない。
ハワイに行ったときにはお腹が「もう、いい加減にしろよ」と言っているみたいだった。その声をちゃんと聞き入れて、私が自分の健康を第一に考えていれば、と今は思う。
続きを読む欲望に打ち勝つというのは、ほんとに難しい。私の場合は食欲。とにかく健康でいたい、とか思っているくせに美味しいものをムシャムシャ食べたい。
これまで健康でいるために常日頃気をつけるどころか、健康は大事だよなと思っているだけで食い意地は止まらない。
ハワイに行ったときにはお腹が「もう、いい加減にしろよ」と言っているみたいだった。その声をちゃんと聞き入れて、私が自分の健康を第一に考えていれば、と今は思う。
続きを読む40才になったことは別になんてことはなかった。
大した気持ちの変化もない。響きがどうしてもミドルエイジ満載だけれども、まだまだ若いとすら思っている。ただ、体力的にはちょっとしんどいかな、ということも気づかないうちにあるのかもしれない。でもそれも気持ちの持ちようだと私は思う。でも40ってだけ聞くと、ええ、私ってもう40か、ってそりゃちょっとは思っちゃったり。でも、ってことは、つまり今年はギリギリ40才になるまでに車の免許をここアメリカで人生初めてとったということで、それはかなり私の人生でものすごいことだった。
続きを読むそうなんです、タイトル長いですが w
カリフォルニアのロサンゼルスのDMVで運転実技試験を一発合格しました。まさか、もうすぐ40歳になろうとする自分が、人生初で車のハンドルを握り、ここアメリカで、勿論英語で、人口も車も多い都会ロサンゼルスで、まさに人生初の運転実技試験を受けるなんて、と、運転の練習を始めた当初はそんな気持ちでした。
一発で受かったのもまぐれかいな?と思いましたけど、自分には他の人よりもハンデが多すぎることは分かっていたので、週末は運転の練習をものすごく頑張りました。
昇進が無事終わりました。
結果は、もともとの残業含む給料よりは少し下がりますが、事前に予測していた想定内の下がり具合で許容範囲でした。「ここからここまでの範囲なら、受け入れよう」と思っていた範囲内でした。
ただ、夢にまで仕事のこととか出てきたり、やけに気が散ってイライラしてしまい、給料のことが分かるまでは、日常生活でも上手に時間配分ができずに過ごした一週間でした。(例えばなぜか食べる気分になれず朝ごはん食べそこねたり、空き時間に何となくジムに行きそこねたり・・・)
結局は喜んで良い昇進だったはずなのに、どうもあれよこれよと先に心配をしてしまう自分の性格は、いろいろ損だなーと思ったり、でもいろいろ心の準備や、何かあった時の切り札をここまで準備していたことも、よくやったつもりと思ってあげたいです。
という訳で、昇進というものが、自分にとって何なのかいろいろ考えさせられた一週間でした。そして昇進だけで人の幸せは決まらないという考えの自分がいることも分かりました。
今は無事昇進したことについては、純粋に嬉しいです。でも、だからといってそれイコール幸せには直結していないということですね。勿論昇進は基本ポジティブな出来事なので、幸せとの繋がりはありますけど。
それにむしろ、人生でいろいろ昇進だったり、なんだかんだ様々な変化が起こること、その起こるという事実そのものこそが自分のストレスになることをひしひしと、今回も身にしみました。(アメリカから日本に引っ越した時も、生活の変化に心が耐えられずものすごくストレスでした。長距離の引っ越しによる生活の変化は正直覚悟の上でも、今でもやっぱり恐ろしいですね。大丈夫、とか言い聞かせても大体いっつも、ジワジワと気づかないうちにストレスが押し寄せるので。(;・∀・))
それにしても、いろいろ先のことを考え過ぎるこの性分、今更変えようと思っても変えられないこの性分。きっとこれからもこんな風に生きていくのであれば、もう少しだけ心がタフにならないと、考える分だけズーンと心が重くなるので、これからは気の紛れることをもっと真剣に実践して、無理にでも体と心の休憩を取るなどして今後は対応したいな、と思います。
お気に入りのお気楽映画を観るでも、とにかく散歩したり外の空気を吸うでも、懐かしい写真を見て癒やされるでも、大声で歌うでも(勿論窓は閉めて近所迷惑にならないように)、とにかくストレスって本当にやっかいなので、一旦受け入れてあげたら、なるべく他のことをしてストレスのある場所から距離を置くことが大事かと。あと、またこういう「変化」の状況があったら、今この状況で何をしたら楽しいか、とか面白いことを頭で想像してイメトレだけでもしようと思います。
そして、今回相談にのってくれたり、楽しい話しをさせてもらった友達には何より感謝です。
前回の記事に続いて、今回の昇進について考えてみたいと思います。
さて、本日も人事から正式な昇進に関する書面は届きませんでした。昨日のブログから、全く進展がなかったということになります。(^_^;)
今日仕事中に上司にきいてみたところ、明日ようやくメールで届くそうです。(いつも人事関連のことは遅いので、本当かなーと正直疑心暗鬼ですけど。)
という訳で、昇進後の新しい給料の情報をもらうのはもう一日待つことに。
結局今日一日全く進展はなかったのですが、代わりにいろいろ私なりにできることを今日のうちにやりました。人事から正式な昇進について連絡があった時に、給料のことなどについてもきちんと交渉ができるように、ちゃんとこっちも用意周到にしておくことが大切なので、ここはもう一日あることをラッキーと考えて仕事の合間にコソコソ調べました。
で、今日準備したこととは、以下のとおりです。
こういうことは向こうから提案された給料を見てから心配しろよなー、と思われるかもしれません。が、私の場合、今日一日まだ時間があるなら提案される前にいろいろ準備しておけば、後からあたふたせずに済むのと、あらゆるシチュエーション(最悪なシナリオの方だけですが)について心の準備をしておけば、後で最悪な給料を提案されても、感情的にならずに、今のうちに向こう側の出方を予想しつつ、より落ち着いて給料交渉ができるので、いろいろできる範囲で先手を取ることにしました。勿論、うまくいくかどうかは相手あってのことなので、無駄に終わることもあるかもしれませんが、無防備のまま立ち向かうより、いろいろ調べてから立ち向かう方が後悔も少ないと思います。
とは言え、結局は私が居ても立っても居られないだけなので、こうやって人事からの連絡待ちの間にいろいろ調べておくことで少しは気分が紛れるんですよね。(笑)
ほんと、私って小者だよなあ、と今こうして書きながら思います。
それに、昇進ってハッピーなことのはずなのに。
こんなに悩むって、一体これって、一つレベル上の役職をちらつかせて給料は低くしようとする(他の同僚のケースとして事実前例があります)、もはや会社の罠?と思ったりもしてしまうほどです。
でも、ここまでいろいろやっておきたい理由は、ずっと暫く続く給料のことだからです。なので、今できることをやっておく価値はあると思っています。百円とか千円の規模よりはるか上のレベルで毎回もらえる給与明細が変わってくるお話です。お金をもらって生きるために仕事をしているので、少しでも多くもらえれば、仕事のモチベーションは上がるのは当然です。上司から「いつもありがとう」と言葉ばっかりで、実際に給料は低いとか、行動が伴ってないので自分にしたらアウトです(笑)
とにかく結局明日にならないと分かりませんし、その後の給料交渉は一日では終わらないと踏んでいます。
たとえ今もらっている給料より低くなっても昇進を引き受けるのか、昇進を断るか、結果が分かったらお知らせさせていただきますね。
最後に:ここで書いている内容はあくまで私の体験談そのままなので、参考になるかは分かりませんが、もしこのブログを読まれていて将来のキャリアについて考えておられる方がいましたら、応援しております!
※そう言えば、昨日のブログでは書きそびれましたが、なぜ私のお給料がそこまで時給なのに悪くないかというと、残業代も出ることが勿論大きな理由の一つですが、私の場合、実は時給であること以外は固定給の社員と全く同じように、祝日などもちゃんと給料をもらえ(時給×8時間分)、福利厚生もしっかりとカバーされているんです。言ってみれば、私も固定給と同じで、それプラス残業代ということになります。
またまた前回同様、いつか書くとか、明日書くとか言ってたら絶対にいつまでもほったらかしのネタになると思い、今書きます。今回も本音だらけで可愛げのない文章ですが、再びあしからずです。
仕事で昇進だよ、と上司に言われました。先週金曜日のことです。因みに昇進は英語で「Promotion」です。と、どうでも良いネタですが、本題はこちら。 ↓
果たして昇進は嬉しいこと?
金曜の朝に突然上司から「今話せる?」と来たので、これはもしやいよいよ私もクビ?とちょっとドキドキしました。(笑)アメリカではよく、金曜日に突然レイオフされるので。そしたら実はむしろその真逆だったので、そりゃあ最初の気持ちは嬉しかったです。
そして、口頭で昇進のことを告げられた後、週末を挟んで翌週になって、少しずつ疑問に思い始めました。
「この昇進は私にとって良いことなのか?」と。
因みにまだ人事から正式な新しい給料のこととか、詳しい情報などは書面でまだもらってません。
昇進でぬか喜びしていられないな、と思い始めた理由は、まず今の私のお給料はそこまで低い方ではなく、残業代も100%出ることです。
けれど、昇進すると、残業代のつかなくなることです。つまり今より多少の基本給は上がるにしても、もしかすると、今の方が残業代も考えるとお給料が実は高いかも?という可能性もあるのです。
しかも昇進によって今までの業務プラス新しい責任が増えることになります。そうすると、仕事量と責任は増えて、変わらず残業もあるのに、給料が以前より低くなってしまうと、ちょっと問題です。
昇進によって新しい役職名をもらったことだけで、給料は低く、責任ばっかり増えるという。これ、詐欺なんじゃあ、もしくは足元見てる?とか思っちゃいます。
されど、ここまで考えつつも、実際まだお給料のことは人事からの連絡が来ないので、まだどうなるのか分かりませんが、もしも今もらっている額面より減ることになったら、必ず交渉をするつもりです。(給料交渉はアメリカではマストです。)過去3ヶ月の給与明細で計算して交渉に役立つようなものは全て準備もしておきます。
それでも給料はこれ以上あげられないと告げられたなら、降格、というか昇進はいらないということを上司に言うかもしれません。あ、因みに降格は「Demotion」(デモーション)です。プロモーション↑、デモーション↓、ぜひこの機会に覚えてみては?(^o^)
勿論この判断は、人それぞれで、どんどん昇進してとにかく役職が上がるならちょっと給料下がっても我慢したいという人も割といて、というか当然いるので、それはそれでありだと思います。(実際に給料ダウン覚悟で昇進を選んだ人もいます。それにしてもひどい会社ですよね。)
私の場合、役職もある意味大事だけど、昇進することで理不尽で自分にとってマイナス要素の方が多そうであれば、昇進をお断りするのもありかと思っています。その代わり、それなりのリスクも覚悟ですね。つまり、下っ端のままってことですが。もうきっと昇進もさせてもらえないだろうという覚悟もいるかも。また、クビにだけはならないようにそこで今まで通り頑張ることは重要になりますね。
でも下っ端は下っ端でいいところがあるんです。責任がそんなになく、下っ端の仕事でないことは丁重に拒否もできるので(多分これ、日本とは違うかな)。つまり、自分にとってそれなりに納得の行く給料をもらっているのであれば、もう昇進しなくても良いかとも考えてしまうのが、私の本音です。問題は自分の中でどんなふうに優先順位をつけるかですね。
とにかく人事部からの連絡を待つことにします。
昇進するのにこんなに悩まなければならないのが残念ですが、まだ何も分からないのにこうして悩んでいるのは会社だけでなく私の性格にも問題ありで。いい加減に寝ようと思います。
以上、アメリカでの昇進について(と、それに悩む私について)でした。どうか皆様、日本にいてもアメリカでも世界中のどこにいても、ご自分にとって納得の行くお仕事や、お仕事以外のことでも、充実した素敵なエブリデイライフを送っておられますように!
いつかもっとちゃんとまとめてから、なんて言っていたらいつまでも書かないので、今書いておきたいと思います。本音ばっかりで綴られていますので、とても可愛げのない文章ですが、あしからず。(^_^;)
まず、欲しい?と聞かれたら、うーん即答で「はい!」ではなく、どちらかと言えば「いいえ」です。もっと言うと、本当にどちらでも良い、というところでしょうか。
結婚も同じでした。結婚したいとか子供の頃から考えたこともなく、したくない訳じゃないけど、しなくても全然オッケーでした。私の場合、夫のことは大好きだし夫も私を好いてくれているけど、だからじゃあ結婚する、とかそういう発想はありませんでした。
ただ、結局一緒にいるためには私のアメリカでの永住権いるね、とかそういうメリットとして、どうしても結婚する必要があったのでしました。式にも全く興味がなく、むしろ知らない人だらけの結婚式だったり、親戚との集まりとかが苦手なので、自分たちも式はしませんでした。ウエディングドレスにも全く興味を持ったことがなく、むしろ白のドレスかよ、つまんないなーと非常に可愛くない女子なもんで。(笑)こんな可愛げないので、親には申し訳ないですが、親も私のこのキテレツな異常ぶりはもともと小さい頃からだいたい分かっており、私の気持ちを尊重してくれているので、感謝としか言いようがありません。(ちなみに式はしなかったけど、結婚して3年くらいした後で、私の家族と夫の家族、近い親戚の方々だけを集めた小さめのパーティーはしました。これくらいは、いくら私でもした訳でした。)
そう言えば、随分前に夫と付き合い始めた頃に、今は縁の切れた友人に付き合ったことを報告したら、「結婚のため?」といきなりストレートで言われて、質問の意味が全く分からず、「???」で無言で答えた記憶があります。誰かと付き合い始めたら、ゆくゆくは結婚という発想がメジャーなのかも?とその時初めて知りました。結婚のために誰かと付き合うという発想はなかったのと、結婚にそもそもなんの夢もありませんでしたから。(笑)
さて、本題の子供について。
子供がいる生活、子供がいない生活、どちらかだけで、どちらが優れているとは考えません。どちらにもメリットデメリットはあるし、それはあえて私がここで言う必要もないかと思います。皆さんそれぞれ、きっとなぜ自分はこうであるのか、理由が様々にあると思います。
子供は可愛いし、嫌いじゃないです。子供がいる昔からの友達とも今もずっと仲良しです。子供がいるから、その友達とは会わなくなったってのもないです。そんでもって友達が幸せそうで私も幸せです。彼女たちは子供がいるいない関係なしに心から気を許せる友達なので、大事なのは気が合う合わないかどうかで、子供がいるいないは関係がないことが私の人間関係の中でもよく分かります。
余談ですが一方で、子供は必要ないかもしれない、と過去に古い友人に言ったときに「子供が嫌いなんだね」と言われた時はあまりの単細胞っぷりの言われように呆れ果てて、その友人とはなるべく距離を置いたことがあります。私に子供のいる素晴らしさを居酒屋でコンコンと説明してくれたとても面倒見の良い女性なのかもしれないけど、その一言で、「なんじゃそりゃ」となったもんでした。ちなみに子供のいる素晴らしさは、老後に面倒みてもらえることだそうですが、説得力なし、と思いました。
子供が欲しいか?と言われたら即答で「はい」じゃない理由は、ただ、私が今までもずっと自分の生活が気に入っているからです。子供がいたら、それはそれで絶対かわいいし、楽しいだろうなーとも思いますが、ま、いないからといって、子供のいない自分の生活が、子供のいる生活と比べて劣るかというと、それはないな、と断言できます。ただいるかいないかの生活であって、どっちにせよどっちかしか選べないのでどっちが優れているとか考えても仕方ない気もします。どちらもその人が幸せであれば、それでいいじゃん、と。
幸せのあり方は、昔と違って「結婚すればこそ」「子供がいてこそ」「一軒家を買ってこそ」とか、多分どれも自分の性に合いません。(笑)あ、結婚はしたけど。
なので、世間から上記3つのような偏見はそろそろなくなって欲しいな、とは思いますが、なかなかなくならないものなので、こちらからそっとそういう雰囲気の人の集まりからはフェードアウトが一番ですね。多分そういった偏見そのものが人の幸せを邪魔しているので関わりにはならないようにしています。
今のところ子供はいないのですが、じゃあ絶対にいらない、子供のある生活なんてまっぴら、なんて思っている訳なく、思う必要もなく、もしそのベビーの命が私のところに来てくれて、ご縁があれば、そりゃあそれはそれで幸せこの上ない人生をその方向で進めるよう努力します。
その時にもし、子供のいらない友人が私に、「あ、じゃあ赤ちゃんで大変だしもう会えないね」と言ったら、その友人はそこまでの仲で、私は大切に授かった命と一緒に過ごす人生を優先します。(以前、子供ができた友人に対して、そういうことを言う子なしの友人にもびっくりしたことがあります。私もきっと子供ができたら、そうなるのだろうな、と踏んでいますがそこまでの関係なら、それもそれでありで。)
私にとって、子供が欲しいかどうか、以上が私の素の意見でした。いる生活も、いない生活も、どちらであっても幸せは人それぞれ。何よりも今この瞬間一人ひとりの方が幸せを感じていますように、と願うばかりです。
ちなみに私は、これから夜ご飯を食べます。美味しいものを食べる、これが今の私の最大の幸せです。(笑)
すでに4月11日、年は2021年です・・・
あの日の震災から先月の11日で10年。
今回は、10年間知らなかったことについて書きます。東日本大震災のことです。
私はその頃まだ京都に住んでいたので、実際の被害はありませんでした。
10年が過ぎて、本当に今頃か、と思われるかもしれませんが、東日本大震災についてあまりに何も知らなさ過ぎていることを、ふと感じました。勿論被害のことはニュースで知っている、けれど、自分から進んでその地にいた人たちのことを知ろうとしていなかったことに気づきました。そんな自分自身の生き方にとてつもなく危機を覚えました。
同じ国で起きた大災害に関して、受け身としてテレビから得る情報によって知るだけでやり過ごしていた、知ろうとしない自分は、一番恐ろしいと思いました。
勿論東日本大震災では、語り尽くせないほどの後世に語り継がれるべき、それぞれのおはなし(一番適した言葉が見つかりませんが、おはなしと書きます。)があります。
私も今回東日本大震災について生き残った方のドキュメンタリーをYouTubeでみさせていただいていましたが、その際にたまたま、アメリカ人女性のテイラーさんのことを知りました。
JETプログラムによって来日しALTとして多くの子供達に英語を教えていた彼女のことを、私は初めて知りました。東日本大震災によって亡くなられた方の一人です。
アメリカ人で亡くなられたのはテイラーさんだけだそうです。
私は、自分の夫もJETでALTをしていました。しかもテイラーさんと同じ頃です。年齢も夫とあまり変わりません。そのことを今頃になって知り、どこか、他人事とは思えないという気がしました。夫とは違う県ではありますが、同期で同士だったのです。
子どもたちに最後まで希望を与え続けたテイラーさんについては、夫とも共通するところがあります。本当に心が柔軟で温かく、視野が広く、思いやりがあり、子供たちを大切に思うところなど、本当に心を動かされる人柄というのは、一緒にいることで分かりますよね。ドキュメンタリーをみることでしか、テイラーさんのことは分かりません。でも、こんなに素敵な方がいたんだ、と知ることができました。
テイラーさんのご両親のことも知りました。『テイラー文庫』を設立して、被害地域の多くの学校にたくさんの洋書を寄贈されているそうです。本棚は地元の木工作家の方が作られた、素晴らしくデザイン性のある、とてもかわいい本棚です。そんな素敵な本棚に並ぶ数々の洋書。テイラーさんのご両親と本棚を作った木工作家の方、そして地元の皆さんによって、これからも多くの子供達に夢と希望を与えていくことを、私も心から応援したいと思います。
テイラーさんの存在が、10年を過ぎた今でもアメリカと日本の架け橋となっていることが、本当によくわかります。そしてテイラーさんというALTの先生がいたということを忘れてはいけないと思います。私は直接お会いはしてません。でも、彼女のような素敵な先生がいて、子どもたちに希望を与えておられたことを知った今、忘れたくありません。こうやってテイラーさんの意思を私も心の中に持ち続けたいです。
こうして、テイラーさんのことを風化させてはいけないと思い、私もここに記しておくことにしました。そして何よりも、震災で亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りします。
いつか、私も震災のあった場所にも訪れたいです。その地でできた美味しいものを食べたいですが、やはり震災の記録を残されている施設などもあるので、当時のことを聞いて、学び、後世の方に私も伝えていけたらと思います。
2021年1月に書いたブログから今回が今年2回目となります。毎月書こうと思っていたのに、もう3月後半です。・・・何、もう3月なの?とちょっと時間が過ぎるの速すぎるぞ、と2月中にブログを書かなかったのを、全生命にとって平等な時間のせいにしているグレリーヌです。
要するに2月中に1個は書くぞ、と思っていたのに全く書きませんでした(書けませんとはあえて言いません。とほほ)。
ものすごくくだらない言い訳ですが、実はこれでも結構忙しかったんです。理由として、先月がどうだったかと言うと、割とバカバカしい、と思われること必須かもしれませんが、一応書いておきます。
まず私の働く会社で2月に新しいことがどんどん始まって、それに対応するためのウェブコンテンツ更新作業が大量に飛び込んで、だいたい一日中パソコンから離れることもなく、それにつきっきり。で、あとは夏頃に引っ越しを考えているので、平日夜は新居の検索&週末は下見なんかを始めたりして数件見に行ったり。それから、現在とある資格取得のためのお勉強中で(仕事がらみです。ちょっと日本の法律っぽいところに関連します)、仕事中でも併せて勉強モード。更にアマゾンプライムのお気に入り番組『エクスパンス』にとうとうハマってしまい、もうこうなりゃちょっと観るしかなくなり。と、こう言ったつまらない事情です。
非常に自分勝手な都合で、ブログを後回しにしているだけじゃないか、と思われるでしょうが、そのとおりなんです。これが今の私なんだなあ、と思いながら今書いている自分よ、やっと書いておるね・・・と心で呟きながら自分自身を見つめています。まあ、書かなかったことはもうそれで気持ちを落とす必要もないので、とにかく今なら書けそう、書きたい、書こう、と思ったわけでした。
時間を作るのは、自分の意志でしかできない、ということは本当です・・・言う事ばっかり立派なので、実にとほほですが。
新型コロナウイルス、、という言葉やCovid19が、もはや今となっては新型でもなければ、19という番号がとても古いものにも感じますが、未だに猛威を振るう恐ろしい世界の中、とうとう2021年になりました。
Quarantine Lifeが今の日常生活となり、この後にもとに戻るという言い方すら、ちょっとこっけいな気さえします。もとに戻るというよりも、むしろ今のNew Normal(ニューノーマル)という状況を通り過ぎた後の世界に対して全てがもとに戻るという考えが当てはまるのかが疑問です。でも、きっと今年は去年よりもっと良くなっているはず、と言う気持ちはきっと、みなさんが同じように考えていることだと思います。(゚∀゚)
続きを読む
こんにちは、グレリーヌです。
と、なんと突然重々しいタイトルを掲げてしまい、「うーん、こんな非常にハードルの高いトピックでもはやまともなことが言える立場なのだろうか・・・」と、早速自分に対して問いかける羽目になっています。
こんにちは!グレリーヌです。
またまた性懲りもなく徒歩数分圏内のユニクロへ行ってきました。ま、1ヶ月ぶりにどんなもんかな〜ってな感じです。(;^ω^)
先月久々にユニクロに言った際には、新型コロナによるロックダウンから晴れて3ヶ月以上ぶりに再び6月中旬にオープンしたんですよね。
前回の記事が割と反応良かったというのもありますが、私があまりにユニクロとマリメッコのコラボにテンション上がってしまったことの背景には、ロックダウン後の晴れて普通に買い物という行為ができるようになったことがとにかく、自分にとって非常に大きなインパクトがありました。という訳で、こうしてその1ヶ月ぶりに再び惜しげもなく足を運んでしまったのですが。
ま、お気に入りのお店がここまで自宅から近すぎるというのも危険です(笑)そこで今回のショッピングで気づいたことをPARTⅡと称して綴りたいと思います。また、今回はその他、返品交換やオンラインなどなどについても、お役立ちな情報を載せました。お好きな箇所だけ読んでも、アメリカ在住のユニクロファンの方のお役に立てるかもしれません☆(*^^*)
続きを読むこんにちは、Gurerine(グレリーヌ)です。すごく久しぶりにブログを書いています。
最近ロサンゼルスの外出禁止令も少しずつ緩和されては来ていますが、自宅勤務も何と13週目を終えて、いよいよ14週目に突入という。そしてその間、私は大いにインドアの味をしめたのでした。ブログなんてクリエイティブなことからはかけ離れた怠け者となり、毎日、映画にアニメに漫画に明け暮れてました。それはそれで個人的には非常に充実してたのですが、今日やっと、書きたくなることがありました。今回はLAのユニクロ店舗の再開と現在こちらにて開催中のマリメッココラボについて書きます。
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