日本はお盆真っ盛りですね。台風の影響で、列車が計画運休するところもあるとニュースで聞きましたが、何より皆さんが安全に過ごされますように。
本日、8月15日は日本の終戦記念日ですね。とても大切な日であることは間違いありません。また、昨年さくらももこさんが亡くなったのも同じ日です。
きっと、日本だけでなく、世界中のファンの方がさくらももこさんに想いを馳せていることと思います。私もその1人です。
(※呼び捨ては心が痛むので、「さん」をつけさせていただくことにします。)
いつも世界の平和を願っていたさくらももこさん。戦争が終わったことを記念し日本中が平和への祈りを捧げる日、彼女は旅立たれました。ちょうど一年前の、平成最後の8月15日でしたね。
(※ちなみに世界の終戦日は異なります、念のため。。。)
8月15日こそ思うこと
この日は、自分の中で一番お気に入りのさくらももこさんの作品を取り出して読もうと思っています。(ロサンゼルスは日本との時差がかなり大きいので、無論日本の15日にタイミングを合わせなければならないのですが、めんどくさがりの私でもこの日だけはちゃんとする予定です)私も、世界の平和を皆さんと一緒に祈るとともに、さくらももこさんの作品を今一度思い起こして、世界中の一人でも多くの人々が朗らかな笑いに包まれますようにと、そう願っています。
もっともこれは常日頃から、そうなるよう自分でも行動していかなければならないことでもありますので、あまり大きく出ずに、できることをやりたいです。私の場合は、ロサンゼルスにいるので、そこは日本人の良い文化のところとして、ちょっとした周囲への気遣いを忘れないようにしたいです。例えば、外食でもお呼ばれした時でも、自分の食事したテーブル箇所がちょっと汚れたら、ササッと拭くとか、日本だったら普通にしますよね(多分)。まあ、そういう感じのことです。外国では気にもとめない人も多いのですが、やっぱり、ねえ。具体的に言うとキリがないですが、最近だと同じアパートに越してきた人が、アパートビル内に設置されているコインランドリーの使い方がちょっと分からない時に、「大丈夫ですか?」と言って、相手がちょっとやり方が分からないと言うときに、教えてあげたり、とかそれくらいのものです。人種も様々なので、マイノリティの私も、お互い助け合って、分かり合えて生きていきたいという気持ちもあります。
さくらももこという人の世界観
さて、さくらももこさんについて。
身近にある、ほんのささいなことから幸せを見出すことができた彼女の作品の世界観は、その才能は然り、常に世界の人たちの幸せを願っていた彼女だからこそ描けたのではないでしょうか。自分の身の周りで起こる、とても辛くて悲しいことも嬉しいことも沢山描かれていましたよね。 そんなさくらももこさんのこと、もしや、、、とは思うのですが、平和を祈る日に旅立たれたのも、日付をちゃんと三途の川の船渡しのおっちゃんと口合わせしてたのでは・・・とまで思ってしまいそうになります。
これは私なりに、彼女にこれ以上ない敬意を表すとともに、自分自身の悲しみを癒やすための、はたから見ればただの無理やり勝手な推測に過ぎません。よって、変なことを言っているのは百も承知ではありますが、どうかご勘弁を。。。でもやっぱりそうかもしれない、偶然にしても、さくらももこさんだもの・・・と勝手に考えてしまうのです。
彼女の振りまく笑いの世界には、くだらないとかばかばかしいとか、何だこれは、というニュアンスのものも盛り沢山含まれていました、はい。そして、それこそがさくらももこという作家のすごいところだと読者は気付かされます。
作品によっては、向き不向きは勿論あります。私もちびしかくちゃんは、読んでギョッとしたこともあります。けれど、あらゆるものごとやジャンルについて、あそこまで笑いを持ってくる、あるいは笑い飛ばしてしまうユーモアをもっていましたね。ただくだらないと思ってしまう内容でも、どこかにそう描いた彼女の意図があったのではないかと思わずにはいられません。
最近読んだのでは、こちら『おんぶにだっこ』ですね。もう心がほがらかになるったら。読みながら、「うん、分かる、分かるよー」ってな感じになりますね。
みんなが共感するところ
それこそ様々なユーモアを世界に大いにふりまかれた一方、身近な生活において、誰でも共感できるような的確で繊細な感情が、いつも読みやすく表現されている作品がそれこそ多いこと!
だからこそ、私だけではないはずです、作家であるさくらももこさんだけでなく、人としての彼女に、全く出会ったことのない人にもかかわらず、こんなにも亡くなったことがショックで悲しいと思うのは。それだけ彼女の作品は、私たちの身近にいつもいるような、作品が心に染み付いているような、まるで友だちが寄り添っていてくれているかのような気持ちにさせてくれたのですから。私にとっては、さくらももことさんの作品はそういう存在でした。
これが私の令和元年8月15日における平和への祈りです。世界中にそう簡単に届く訳はないでしょうが、少しでも届けばと、そう言う次第です。
1年が過ぎて
ときどき、さくらももこさんは実はまだどこかにいるのでは、とも思ってしまいます。それは、私が実際にお会いする機会もなく作品でしか彼女に会っていないからそう感じるのかもしれません。
でも「お元気ですか」と心の中で語りかけたくなることもあります。
あるいは、今頃蓮の葉っぱにでもちょこんと座って、また面白いことをいろいろ考えているんじゃあないのかな、と思ったりもします。それともお釈迦様のところで専属DJさんにでもなっているのかも、とか。きっとさくらももこさんならどこへいようとも、面白いものへの探究心は失われてはいないでしょうし、きっと素敵なネタを新たに生み出しているかも。それはいつの日か、どこかで出会える時のお楽しみということになります。
ただいずれにせよ、さあ彼女のいるところへ会いに行くぞ、という訳にもさすがに行きません。とりあえず今のところ私たちは私たちで、彼女の姿が見当たらなくとも、笑いを求め続け、生きるしかないでしょう。
笑いこそ、世界にとって尊く貴重なことなのですから、世界中のもっと多くの人たちが笑い合える、そんな時代がおとずれるよう、考えていかなければなりません。
ものすごく共感しながら、思わずブハッと吹き出しそうになります。なので公共の場で読む場合、1人で爆笑してしまうので要注意です。私はやっぱり自宅でゴロゴロ読む方が好きですね。
(写真手前は『もものかんづめ』(集英社))
また、私たちはさくらももこさんが実際活躍された時代に一緒に生きることができました。彼女の生み出す笑いは、私たちの時代の、笑いの礎になりました。これを次の時代にも活かし続けて行ければ最高ですよね。日本で言えば、令和、そしてその後も。。。
前述のとおりでもありますが、人から笑顔が絶えないように、人に対して接したいと思います。だって、笑った方がやっぱ得ですし。
ただ、まあそうヘラヘラばっかしてはいられないので、本当に難しい課題ですね。そんな時でもさくらももこさんの本を開いて心をリセットするのも良いかと思います。
私なんか、しつこく、どこかにいるさくらももこさんへ、とこう語りかけてみます。どうか、この世界が続く限り、世界中が笑いで溢れるよう引き続き見守っていてくださいね、と。
それでは、いつかまた。
やっぱり悲しいけれど、元気にやっていこうじゃないか、と思うのです。
令和元年八月十五日
で、やっぱり元祖爆笑エッセイと言えば、『もものかんづめ』(集英社)でしょう。『富士山』(新潮社)も一字一句逃さずもう一度読みたいですね。何度でも読みたくなります。『富士山』の方は、私も上の第一号しか持っておらず、と言うのも、ちょっと出回ってないので、どこかで見つけたらラッキーですよね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。とても個人的なブログになってしまいましたが、多くの方が平和になりますよう願いをこめました。私はさくらももこさんの一読者でしかありませんが、悲しいときでも、作品を読むと心が元気になりました。終戦の日は特に多くの人が平和への祈りをこめる日でもあります。今回は終戦日とさくらももこさんのことを思いながら、自分の言葉で平和への祈りを捧げたいと思ったのが、このブログを書いたきっかけです。皆さんのもとにも沢山の笑顔がありますように。:)
漫画協力:@harmstudio