海外生活何でもかんでも徒然なるままに〜カリフォルニア発〜

アメリカ生活での異文化雑記ブログで @harmstudio(夫)とダラダラ合作漫画も描いたりします。日英バイリンガル(フランス語ものんびり独学中)

苦笑満載な部活(小学校のスポーツ教室)のこと

こんにちは、グレリーヌです。

今回は、今週のお題「部活」に乗っかかってみたく。

ま、とにかく小さい頃からそうでしたが、非常に地味な生徒でした・・・要するにいい意味でも悪い意味でも目立たなかったので・・・でも潔さも時には大事ということを地味ながらに綴ります。

それでは、どうぞ・・・地味ですよ。

はじめに

私は中学・高校時代ともにブラスバンド員だったが、そのことは今回は書かないでおく。

中学1年生〜高校3年生まで続けていたブラスバンドには何かとてつもない、いろんな苦楽が詰まりまくっており、ちょっと今まだ文字に書ききれない気持ちが沢山あるのと、書ききれないほど、どこの部分を取り上げて、今週のお題に生かせばよいのかも正直分からないのである。

言い訳がましいが、今回はちょっと勘弁してくださいませ、ということで、小学校の頃に遡ることにした。

 

 

小学校の頃の(苦笑)も入り混じる「ぶかつ?」話

小学校の頃は、いわゆる放課後の部活というものはなかった。これは全国に共通していたのか分からないが、代わりに任意で参加できるスポーツ教室があり、その中にバレーボールがあった。そこで私も高学年になって、何となく入ることにしたのだ。ま、いわゆる中・高校時代で言えば部活になるだろう。

バレーボールって何となく、当時は女の子の王道スポーツな気がして、気がついたら、私も入ろうかな、と周りの女子に便乗した形で入っただけである。それくらいいつも何かする時って、当時の私は何かを始める時、ま、適当だったと思う。 

まあ、すごく楽しくもなければ、辛くもないが、「みんなと一緒にがんばってるね、私も」感というのがあり、苦なく1学期は続けていた。放課後にバレーボールを練習する自分というのは、当時の私には何の特があるのかも考えていなかったけど、そこまで下手でもなければ、上手でもないし、まあこのまま続けていれば、良いかなあ、と思っていた。

しかし・・・この後夏休みが始まるとともに、一変したのである。一変したのは、勿論私ではない。他でもない、バレーボール教室のコーチの教師である。彼は、夏休み初日の合宿とともに突然スパルタに切り替わった。

 

コーチの態度の豹変ぶりに「は、なにこれ?」

まさしく、今一体、何が起こっているんだろう、という気持ちである。と言うのも私たちのバレーボールコーチは男の先生で、いつも温厚なオーラを持っていた。静かにみんなを見守る感じで、うまいことまとめているなあと、私は思っていた。

そして、ちょっとだけ茶目っ気のある先生だった(と思っていた)。ある時、意外とバレーボールの調子が良かった私が、先生に話しかけていたときのことだ。

私と先生の目の前であっちこっち行ったり来たりしている小6の生徒がいた。その子は、一人でレシーブの練習をしていたのだが、自分の腕から飛ばすボールがそれこそ四方八方に飛びまくってとってもコミカルな動きをしていた。

すると先生はその生徒を見ながら、「おお、あっはっは。あれは面白い、けどあれは実にアカン例やな」と私に笑いながら話しかけてくれた。

私もちょうどその子の動きが面白いと思ったので、その時は「何ておおらかな先生だろう」と思ったものだ。

とにかく自分の担任にはなったことがないので、そこまで深く知っていた訳ではないけれど、別に嫌な感じもない普通の先生で意外とワカル人だな(と思っていた)。

 

豹変内容

合宿については、私は、みんなと夜に学校の教室で眠れるなんて、なんてアドベンチャー!とワクワクしていた。終業式が終わった日の夕方4時からとかだった。

練習が始まるとともに、私の気持ちも「さあー合宿いこうぜ」と心でつぶやくくらいのやる気はあった。

その日覚えている練習は、先生がサーブでパスしてくるボールを、遠くの方から生徒が順に並んで、いかにサッと出てきて、素早くボールをレシーブすることだった。皆、順々に、先生のテンポよいサーブを受けるので、どんどん前へ前へと私の出番が待ち構えていた。

すると、突然叫び声が出始めた。

「お前、遅い、遅いぞおお!!」

「ほら遅い!!」「さっさと出てこいや!!」

とかこんな叫び声だった。だけど、一瞬、あれ、これ先生の口から聞こえるけど、本当は誰?と思った。それくらいに信じがたい光景であったのだろう。夏休み中だけ学校内に現れる悪魔でも憑依したのかもしれない、と、それくらいの豹変ぶりだ。

私はだいたい彼のポーカーフェイスが好きだったが、そのポーカーフェイスは優しいからこそ好きだった。けれど、ポーカーフェイスで怒鳴り散らす先生は、まるでかっこ悪かった。と言うより、滑稽の域である。

いよいよ私の出番がやってきた。すると「ほらノロノロするなあ!!!」と、こうだ。

先程まで滑稽だったが、自分が怒鳴られると、最悪の気分になる。「理不尽」なんて言葉は当時まだ知らなかったが、まさに理不尽そのものだった。 

そしてどんどんまた周り巡って、2度めの私の出番がやってきた。するとここはもう声のトーンも、速さも、先生の目つきも全て覚えている。

「あんたが一番遅いんちゃうかあ!!!」だった。すごく嫌味の効いた、少し響きをもった声だ。

つまり、私はこの合宿に参加している生徒の中で、一番ノロマということだ。そして「あんた」って・・・あんた・・・

英語にすれば、あんただろうが、あなただろうが、お前だろうが、「You」で済むが、大の大人から、「あんた」って。

しかもそう言った2人称で子供を呼ぶ先生の口から出る「あんた」って。

私はもう、ショックでもあるが、「なんだい、こいつは」とこちらこそこいつ呼ばわりをさせていただきたい気持ちでいっぱいだ。勿論心の中で。 

何というふざけたことだろうと、思った。この教師は、一体、今まで本性を隠していたにもほどがあるし、突然手のひらを返したような態度は、どう考えても納得いかなかった。今まで優しかったから、こっちだって懐いていたし、ある意味では当時、生徒として先生に服従していたものの、こうなったら、私にすればもうこんなところには用はないと言った状況だ。

            

      

「あんたが一番遅いんちゃうかあ!!!」と言われた直後の私。とにかく居心地悪いったらもう。ちなみにこのように当時の自分を描いてみたら、某お店のノートですが・・・思いっきり最後の頁ですいません。

 

合宿そのもののこと

とりあえず、合宿だけは無事終わらせた。勿論一泊学校で過ごしたが、あんまり何にも印象がなかったのか何も覚えていない。きっと思った以上につまらなかったのだろう。

バレーボール教室には同じクラスの女の子も何人かいたので、夜は寝袋にもぐりながら、話していたが、もともと仲良しなクラスメートという訳でもなかったのか、それにしても、何にも覚えていない。

翌日の朝ごはんは、これがまたがっくりで、いつも家でも食べているしょうもないスーパーの食パンに、何を塗ったのかすらも覚えていない。これだったら、トースターで焼いてマーガリンやジャムを塗っていたうちの食パンの方がマシじゃないか、と思ったことだけは覚えている。合宿とか、自分の家以外の場所に泊まる時の楽しみと言えば、ご飯なのに、何か違うなあ・・・と心のどこかで楽しみにしていた食事にさえ打ち砕かれた、そんなところだ。

 

そんなこんなで、「バカバカしいや」となった私のした行動

先程先生については、「うまいことまとめているなあと、私は思っていた。」と述べたが、ここで先生によって「うまいことまとめられず」に、あぶれた生徒がいる。

脱落者1名とは、私のことだ。

ちなみに合宿の翌日は、軽く皆で朝練をしたのかしてないのか、それすら不明である。

とりあえず、合宿は2日目の午前中で解散した。これは昼ごはんなど合宿で提供されていないことだけは、はっきりと覚えているので確かである。

こうして、この何の面白みもない合宿が1泊2日で終わると、翌日からの練習を私は完全に無視して、一切行かないことにした。

 

地味だけど、かなり固い決心だったことは確かだ。バレーボール教室を始めた時と同じように、流れにまかせて適当に進むことが私の場合普通であったので、この時の辞め具合と言えば、非常にきっぱりとしていた。

 

さて、どのようにフェードアウトしたか

と言うと、勿論合宿は7月の間だけだったと記憶しているので、多分・・・

つまり、8月は練習もなければ、夏休み真っ只中なので、7月さえ行かなければ、あとは何の心配もなかった。

練習は昼ごはん前までの午前中だけ。

そして、私としては、いかにこの7月中の午前中を、母親にはバレーボール教室を辞めたことを知られずにどこかで時間を潰すか、にかかっていた。

私のとった行動はいかにも地味で、シンプルで、安全であったと思う。ただ、結構暇だった。ひたすら近所でボーっとしたり、ただ地面のアリとか適当に見ていたのだ。

近所と言ってもいろいろ考えたりもした。スーパーのある方向だと、母が自転車で通り過ぎる可能性もあるので、そのような通りは避けた。父も通る場所も然り。

そして、そろそろ練習が終わる頃になると、知らん振りしていつもどおり「ただいまー」と言って、帰って、ただ昼ごはんを食べると言ったことをしていた。

そんなことをしなくても、母に言えば分かってくれるとも思うが、何だか、言うのも当時ははばかられた小5の私は、まだまだその辺小心者だったなあ、と思う。

また、今だったら、先生がうちに電話をしてくるくらいのこともあるだろうが、そのようなこともなかったのか、母からも何も言われなかったし、とにかく突然のフェードアウトは大成功であった。

ということは、それほど、大したことではないのだ。バレーボール教室側からのアクションも何もなかったのだし、本当にそう言うレベルのことだったのだ、バレーボール教室自体も、私のことも。

あとは、通常、体操着を着て家から練習に向かったので、それも安心だった。つまり、練習に参加したはずなのに、何故か体操着がきれいなままなのでオカシイぞ・・・、とかそのような問題にもならず、外でボヤーッとしていた私の体操着も夏の暑さで汗もしっかりかいていたし、母も分からなかっただろう。

 

思い起こせば思い起こすほど「辞めて良かった」

先生からすれば、何というふざけた生徒だったことだろうと、思う。今思い出しても、私もちょっとは苦笑いしてしまう。けれど、本当に辞めて良かったと思っている。

理由はこうだ↓ ↓

  • もともとバレーボールにそこまでのめりこんでいたわけでもない。つまり続ける理由などなかった、とも言える。
  • スパルタなんてもってのほかだ。というか、いくら私がどんくさいのか知らないが、いきなりみんなの前で怒鳴られる筋合いなどない。しかも、優しい先生から突然ヤクザのようになるなんて、そんな先生のお相手など、まっぴらごめんである。
  • 今思い出してもバレーボールに入っていた頃の記憶は、あの合宿で怒鳴られたことだけだ。要するにそれくらいバレーボールのことって、どうでも良かったのだ。バレーボールのことより、その先生のことを思い出すだけなので、思い出したらとっても損した気分になる。

怒鳴られたことで、全くもってばかばかしいや、と早速辞めてしまった私からすると、皆はすごいなあと感心する。「皆、どんだけしごかれても、一生懸命続けているなんてすごい」と思ったが、「それに比べ、私ったら怒鳴られたからってすぐ辞めるなんて。」と自分を恥じたりはしなかった。

怒鳴られて心が辛い状態でバレーボールなんてそもそもやってられないというのもある。一度怒鳴られたら、絶対これからもそうだぞ、と大体想像がつくのだ。

だから、その時点で見切れる物事であれば、すぐにでも見切るべきだと直感し、実行したのはグッドチョイスだよ、ホント。

どう考えても、私は悪くないぞ、あの先生が怒鳴る必要なんて全くなかったぞ、と子供ながらにはっきり分かっている。

他の子たちは、あれから辞めた子なんて私以外にいなかったようで、それはそれで彼女たちには良いことだ。でも、私は別に他の子達が私よりずっとえらいなあ、とか私よりしっかりしているなあ、とは思わないし、怒鳴られようが、続けたければ続ければいいので、嫌なら、その時点で辞めれば、それはそれでよしなのだ。

それくらい未練もなければ、今でも辞めたことに対する後悔はこれっぽちもなく、辞めて良かったなあーと自分の潔さには、今でもあの頃の自分に感謝する。

 

もし続けていたら、どうなっているだろう・・・と思ってみても、全く想像ができないので、バレーボールを続けていたということについて「もし」は絶対にないな、と思う。

 

部活ってやっぱするべき?いいえ。しなくても全然楽しい毎日です。

合宿の次の日からバレーボール教室をに辞めてからの私の毎日は最高だった。

辞めたおかげで、本当に気楽そのものである。もうバレーボールなんかしないぞ、っと思うと心が明るくなったのだろう。

 

今思えば、本当にやりたいことはそのうち必ず出てくると思うので、楽しく過ごせて良かった。いつかそのうち自分の興味がわいたことには一生懸命続けたら良いし、続けるという感覚でなくとも、自分なりに楽しめば良いよな、といつも思っている。

私の場合は、英語だったり、漫画だったり、他のことにいずれ出会うように。

ただ、英語も、始めたきっかけや始めた時の志は、バレーボールの場合に似たようなもんなので、やはり何が自分に合っているのかは、やってみるまで分からないというところもある。まあそういうことで、何でもやってみるのは良いことなのだろうし、だからと言って、クラブ活動で探す必要はない。もしクラブ活動でやりがいを見つけられたらそれはそれで良い、そんなもんだろう。

 

新学期になって、バレーボールで一緒だった女の子たちから、何か言われるかな・・・ということも少し恐れていたが、なんにもなかった。皆あれはあれでスルーしてくれた、と思うことにしている。退部したことでイチャモンつけられたら嫌だなあ、と言う不安も、皆新学期の新しい行事や勉強・遊びのことでいっぱいなので、そんな不安も一瞬でなくなった。まあ、多分私自身、噂の対象になるようなキャラではないので、私に関してそれくらいのレベルこと、周りからすれば多分どうでもよかったのだろう。

だから、地味な生徒で良かった〜と思うのだ。